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2012年01月10日(火)
このところ遅々としてではあるが、友人に紹介していただいた渡辺京二という、熊本に住む在野の思想史家の著書を読んでいる。 とりあえず、三宮のジュンク堂書店で『逝きし世の面影』、『女子学生、渡辺京二に会いに行く』、『細部に宿る夢』の三冊を購入。 この一番読みやすそうなのから読みました。(笑) M先生から『逝きし世の面影』が面白いと薦められるまで、この作家についてまったく知りませんでした。 二十代の頃、石牟礼道子の著書を読み、水俣などへ出かけたりもしたのですが、渡辺京二と彼女が懇意であるなどというのもはじめて知りました。 まあ、そんなことはどうでもいいのですが、『女子学生、・・・』を読むと、オジンが自らの過去を振り返ったりしながら、若い女子学生相手にグダグタ言っているように思えた。 そもそも津田塾大学の学生の卒論を俎上に載せる展開で、彼女たちの卒論のテーマに関心のないこちらとしては退屈である。 しかし、終盤の〈無名に埋没せよ〉は、ウ~ン、なかなかのものだと思った。 たとえば、人生を考えるときによくいわれる「自己実現」というポジティブな言説を、これほど欺瞞的なものはないと一刀両断。 「最初から自己というのは実現されている。 その自分に沿って生きていく、それでいいんです。」 さらに、「人間というのは、簡単に言ったらもう学問なんかしなくたっていいわけなんです。芸術なんてわからなくたっていいんです。自分が生まれてきて楽しいことを十分に楽しむことだ」と、人間存在の根源的なありようを言い切る。 本来自己実現とは、「A being A 」。つまり、「自分が自分である」こと。 しかし、彼は自己実現の欺瞞を喝破する。 自己実現という言葉は「出世しなさい」と同義だと。 確かに、そのようなメタファーを読み取ることができる。 世の若者はそれに呪縛され苦しみ、老年になっては自己実現がなされなかったと後悔の念に悩む。 ところで、渡辺京二のいう「自分が生まれてきて楽しいことを十分に楽しむ」とは、どういう意味でしょう。 それを、彼は次のような言います。 「自分を取り巻いている自然、四季というものを十分に感じられる人間になること」だと。 それは、具体的には「毎年流れゆく四季、それから自分を取りまいている町の佇まい、あるいは空の色、あるいは四季折々に咲く花、そういう中で生きるという喜びを感じる」ことなのだと。 なにか老境の趣がありますが、渡辺京二曰く「自分の暮らす町にお気に入りのお店が何軒かあるとか、町の中に川が流れるきれいな場所があって、その佇まいが好きだとか、子どもの頃からその場所が好きというような生活環境に対する愛着を持つこと。自分の住んでいる町というものに対して喜びを感じること」なのだと。 まるで郷土愛とか、愛国心のようである。 しかし、それは教育などによって外部から押しつけ与えられるものではなく、生活の中から自らの内面に湧きあがってくるものなのです。 「自己実現とかヘチマよりも、そんなことがずっと自分を幸せにしてくれるのです。」 彼はただ者ではないなあ。 石原慎太郎が渡辺京二を高く評価しているらしい。 たぶん曲解し、自己の持論に強引に重ね合わせているのでしょう。 そうでなければ、『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)の腰巻に田中優子先生(ミーハー的ファンですが)の推薦文があるはずがないでしょう。 これは?・?・?だ。 読むのが楽しみだなあ。
by culon
| 2012-01-10 23:10
| 晴耕雨読
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