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2011年05月03日(火)
F先生、予想以上の長い期間、ご苦労様でした。 秋田の湯治場(玉川温泉http://www.tamagawa-onsen.jp/index.php)にいる。周りは雪、今朝は雪が降っていた。 田沢湖から奥へ、八幡平の手前に位置し、ph1.05の強酸性泉。 ボランティア行脚は、気仙沼での活動を最後に終了。 今は、秋田からのフェリー待ちのため、玉川温泉にいる。 遠野でも活動をと考えていたが、あいにくの雨。しっかりとした雨。翌日の天気をギャラクシータブで見ると、雨。二日間もツブレルことなる。 遠野のボラセンでは、車中泊を認めていない。すべて、体育館での宿泊という。ボランティアをするのに、二夜、体育館に泊まらなければならない。気仙沼では、少し離れたところにあるキャンプ場を押さえている。 遠野でも、もしかしたらキャンプ場を押さえているかもしれないと思い、「車中泊ができる場所は?」と尋ねると、「エコノミー症候群がありますので、認めておりません」との回答だった。 単に「ありません」であればいいのに、「エコノミー症候群が・・・」にカチンときてしまった。 「要らんお節介や、価値・善意の押し付け」といえる。遠野のボラセンでは、陸前高田や塩釜などにバスで人員を運ぶというシステムをとっている。現場主義ではなく遠隔地からの操作ということで、管理的発想が強くなっているとのだと思われた。 遠野ほどではないが、どこのボラセンでも、「価値・善意の押し付け」がある。そして、管理的色彩が強くなっているように思える。 それは、阪神淡路大震災のときとは異なり、社会福祉協議会(半分、行政)が主導権を握っているからかとも思う。 石巻がもっとも自由度が高い。全国から、思い思いに、創意工夫のもと、道具を揃えて、やってきている。テントやキャンピングカー、それぞれのスタイルを活かしている。 気仙沼で出会ったアメリカ人のキースのことを紹介したが、車にツールとグッズを持ち込んでいた。川崎の鳶職もトラックいっぱい道具を持参していた。山口の土建屋さんも車にいっぱい道具を積んできていた。 遠野のボラセンであれば、これらを活かすことはできない。 阪神淡路大震災のときの「阪神淡路大震災・地元NGO救援連絡会議」代表の故草地賢一(私が勤めている職場があった神戸電鉄の駅の近くに住まわれていたが、そのお宅に何度かお伺いした)は、ボランティアを行おうとするときには、己の主体性、状況認識、何が必要かを、自分の頭で考えることこそが大切だ、とおっしゃていた。 そのため、私も現場で、何が必要かを想像し、物資と道具を四駆にいっぱい詰めてやってきた。 遠野のボラセンに違和を感じてしまった。 のんびり遠野観光か。でも、宮古までの行脚を急ぎたいとの思いが横切り、車を走らせ、盛岡に向かった。 しかし、宮古でボランティアをするためにも、二夜を過ごす必要がある。そうこう考えていると、心は、このボランティア行脚に終止符を打とうという方向に向かった。 気持ちのいい、充実したボランティアをするのはなかなか困難である。 最後の気仙沼での二日間は、いい汗を流した活動であった。これを最後として、ボランティア行脚を終えようと思う。 愚痴っぽくなってしまった。疲れからきているかもしれない。 玉川温泉で、疲れを癒し、神戸に帰ろうと思う。 いや、やはり実際に活動すると様々な問題点も見えてくるのですね。 こちらにいても、どうも管理的でギクシャクしているような感じがいたしました。 あまりにも活動地が広範囲で被害が甚大なため、どうしても管理的にならざるを得ないのか? あるいは、政府批判(例えば、無策などの)に対する反動なのかもしれない。 国民が、どうも行政頼みになり、要求通りにならなかったら、即「無能な政府」という烙印を押してしまう性急さがあり、政府も自信をもって政策をよう貫徹しきれない。そのようなことが災いしているのだろうか。 F先生、お疲れさまでした。 温泉に浸かって、疲れを癒し、無事の帰還をお待ちしています。 ありがとうございました。
by culon
| 2011-05-03 20:45
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