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紫陽花を見るといつも思い出す本があります。
それは真木悠介(見田宗介)著、『気流の鳴る音』という本です。 ぼくたちがまだ若い日、いわゆる全共闘の政治的な運動が高揚していました。 その運動にシンパシーを感じながらも、違和感をもたざるを得ない若者の一群の存在がありました。 そのような彼らは、オルタナティブな生き方として、コミューン・ムーブメントと呼ぶべき現象を惹き起こしました。 コミューン・ムーブメントは、日本だけの現象ではなく世界同時的な思潮でした。 真木は、その著『気流の鳴る音』の「あとがき」に、この本で試みられているネライを次のように書いています。 ここで追求しようとしたことは、思想のひとつのスタイルを確立することだった。生活のうちに内化し、しかしけっして溶解してしまうのではなく、生き方にたえずあらたな霊感を与えつづけるような具体的な生成力をもった骨髄としての思想、生きられたイメージをとおして論理を展開する思想。それは、解放のためのたたかいは必ずそれ自体として解放でなければならない、という、以前の仕事の結論と呼応するものだ。〈心のある道〉でないような革命は、必ずそれ自体あらたな抑圧の体系に転化するだろう。 なぜアジサイから、この本を思い出すのかといえば、冒頭の序の〈「共同体」のかなたへ〉という文で、まず彼が「山岸会」の研鑽に参加し、経験したことから感じとった「殺風景な社会はかならず自己の周囲に殺風景な自然を生み出す。草や木や動物たちとの交歓を享受する能力は、同時に人間の関係性への味覚をしなやかに発達させる」、ということば、「社会構想がラディカルであろうとすれば、それは社会のシステム構想のみで完結することではない。コミューン論は、人間と人間との関係のあり方を問うばかりでなく、自然論、宇宙論、存在論をその中に包括しなければならない」ということばに、当時強く共感したこと。 それともうひとつは、非常に直截的な話になりますが、奈良にある「紫陽花邑」というコンミューンの事例を取り上げていたからです。 その名称の趣旨は、〈あたかも紫陽花がその花の一つ一つを花開かせることをとおして、その彩の変化のうちに花房としての美をみせるように、邑に住むひとりひとりが、それぞりの人となりに従って花開くことをとおして、おのずから集合としてのかがやきをも発揮しようとするものである〉というもので、この表現がいまも脳裏に焼付いている。 この本はなかなか刺激的なもので、ほとんどの共同体が杞憂されたプロセスを経て解体されてしまった現在でも、なお示唆に富む論点があります。 興味のある方は読んでいただくとして、もう一つだけ強く記憶に残っているところを抜粋しておきます。 それは、「終りよければすべてよし」という言葉をめぐるやりとりの場面です。 ある学生が『柳城通信』を発送する宛名はりの作業をしながら、効率のよいやり方に関して、「終りよければすべてよし、だもんね」といったことに対し、即座に一緒に作業をしていた無口な少女に「それはスターリニズムではないですか?」と問い返された場面です。 〈終わりよければすべてよし〉という原理こそ、あらゆる弱者や「障害者」を差別し疎外する市民社会の論理だというわけです。 備北のコンミューンが分裂したとき、出ていった側のリーダーのO君にたいし、居残った側に共感を持つA君が、一言に絞って口にした批判のことばは、〈結果だけをほしがる感じ〉ということであった。もちろん他人のやった結果をそれだけ収奪するというような次元の低い問題ではなく、O君が集団の課題を自己の課題として引受ける人間であることを認めてたうえで、それゆえのひとつのワナとしてあるプロセスの意味の疎外に関しての批判なのである。・・・・・A君の基準のとり方のうちに、市民社会の根底的な原理と対峙する、ある固有の感覚のたしかさをみることができる。 僕自身は、共同体へ入ることはなかったが、そのエートスは老子の「小國寡民」という国家論、『荘子』「天地」編に書かれた「渾沌氏の術」に列なるものとして今も生きつづけています。
by culon
| 2010-06-21 22:44
| 晴耕雨読
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