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2011年03月25日(金)
━未来への希望に基づいて科学を方向づけていく(高木仁三郎)━ もう四月になろうとするのに。雪が降り冷たい日です。 毎日、これほどテレビのニュースを真剣に見続けた日々は、あまり記憶にありません。 しかも、チャンネルを変えてもその報道は苛立つものばかりで、肝心なところは注意深く、意識的に除外したようで、国民を愚弄しているのではないかと勘ぐってしまいます。 テレビからはなれ、畑仕事をするのが精神的にはよいのは分かっているのですが、身体が動きません。それで、できるだけ出かけることにしています。 しかし、かたときも暗雲から逃れることはできません。 あざとい人間は、というより経済観念に長けた人間は、先の先のことを考えて、被災者に同情しながらも、一方で品切れするだろう商品の買いだめに走り、災害の推移よりこれからの世界の経済動向がその関心事になっているようです。 「市民科学者・高木仁三郎」が生きていたら、この地震と津波と原発事故という三重の大災害、とりわけ現在も進行中の原発事故に、どういう態度をとったであろうかと考えてしまう。 彼は、人間的にも学者としても、最も信頼に値する科学者の一人であった。 彼に代わる学者はいないのであろうか?と思ってしまいます。 わずかな情報を基に、想像力を駆使してみずから考える以外にないのだろうか。 そこで、彼が死のほぼ一年前に病室で書き上げた『市民科学者として生きる』(岩波新書1999.9.20)を、書庫からひっぱり出してきて再読することにした。 なぜなら、ここに書かれた彼自身のいわば「自分史」(彼はこの言葉のニュアンスをあまり好んでいないが)の展開は、とりもなおさず日本の原子力開発の潮流とパラレルに進行し、しかも彼の科学者としての出発点は、当時原子炉を建設中であった「日本原子力事業株式会社(NAIG)」に就職した、ということにあります。 いま進行している原発事故の全体像を俯瞰する上で、とても有意義な書だと思うからです。 「東京電力福島第一原発の事故は、放出された放射能の推定量からみて、国際評価尺度で大事故にあたる「レベル6」に相当することがわかった。すでに米スリーマイル島原発事故(レベル5)を上回る規模になった。局地的には、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故に匹敵する土壌汚染も見つかっている。放出は今も続き、周辺の 土地が長期間使えなくなる恐れがある。原子力安全委員会は、SPEEDI(スピーディ)(緊急時迅速放射能影響予測)システムで放射能の広がりを計算するため、各地での放射線測定値をもと に、同原発からの1時間あたりの放射性ヨウ素の放出率を推定した。事故発生直後の12日午前6時から24日午前0時までの放出量を単純計算すると、3万~11万テラベクレル(テラは1兆倍)になる。国際原子力事象評価尺度(INES)は、1986年のチェルノブイリ原発事故のような最悪の「レベル7=深刻な事故」を数万テラベクレル以上の放出と定義する。実際の放出量は約180万テラベクレルだったとされる。今回は少なくともそれに次ぐ「レベル6」(数千~数万テラベクレル)に相当する。・・・・・・・・原発から北西に約40キロ離れた福島県飯舘村では20日、土壌1キログラムあたり16万3千ベクレルのセシウム137が出た。県内で最も高いレベルだ。京都大原子炉実験所の今中哲二助教(原子力工学)によると、1平方メートルあたりに換算して326万ベクレルになるという。」(asahi com. 2011年3月25日3時0分) この記事を読んでも、シナリオは予想される最悪の事態へと、ベクトルは進行しているように思えてならない。 どうか最良の事態終結へと向ってほしいと願う。 「福島第一、第二原発では、2010年7月時点で東電の社員約1850人、関連会社や原発メーカーなど協力企業の社員約9500人が働いている。東電によると、9割が福島県内在住で、そのうちの7~8割は原発周辺の双葉地域の住民。事故後は東電、協力企業の地元社員だけでなく、全国から集められた社員らが交代で作業している。」(asahi com. 2011年3月26日20時0分) 命がけで、果敢に収拾に取り組んでいる方々の働きが、無にならないように! 多くは立場の弱い協力会社の社員の方々かもしれない。 TVに出演する学者や解説者のコメントを聞いていると、この人たちは何を目的に視聴者にメッセージを送り続けているのか疑いたくなります。また、官房長官は電力会社の代弁者ではないはずなのに、これもまた首を傾げたくなります。 まったくの独断的憶測でありますが、この一連の原発事故に対する東電の初動対処には、どうも彼らの無意識裡にある「反原発の亡霊」の〈恐怖心〉が判断を誤らせたのではないかと思うのです(後世検証されるであろう)。つまり国民の安全より企業の防衛という危険な賭けにでた。 原発建設の歴史は、「命(反対派)と金(推進派)」の戦いに「金」が勝利してきた歴史である。その時、両者には拭いきれない後ろめたさを抱え込んだに違いありません。その意識を霧散させたのは「原子炉は多重防護を施してあるから絶対に大事故に至らぬ」という、つまり共同幻想の「安全神話」※です。 ※ラスムッセン報告。「原子炉のメルトダウンといった破局的な事故が起こる可能性は、隕石がヤンキースタジアムに落ちる確率より小さい」 この唯一の幻想的根拠である「安全神話」の崩壊は、「原発」そのものの終焉となるのだという恐怖心が、常に意識の深層にあったのではないかと思うのである。 世界では、79年の「スリーマイル島」、86年の「チェルノブイリ」原発事故によって「安全神話」はすでに崩壊していたにもかかわらず、日本ではいまだ「安全神話」を後生大事に錦の御旗にしつづけていた。 さらに、問題なのは福島原発の3号機は「プルサーマル発電」で、プルサーマルは使用済み核燃料を再利用するもので、ウランとプルトニウムの混合酸化物(MOX)を燃料に加工して発電している装置らしい。 高木仁三郎は、核化学研究室で実験に使う試料として「NAIGの原子炉で照射した二酸化ウラン」を用いたそうですが、その二酸化ウランの生成する放射能の量は少量でも「大ざっぱな表現をすれば、ガイガーカウンターを近づければ、針が振りきれて働かなくなってしまう」といっています。 彼は、「大学を出たばかりの頃、その仕事を始めて時には、放射能について恐怖心も少なくなかった」が、だんだん仕事に慣れてくると研究を手伝ってくれた若い助手に「少しぐらいの放射能を恐れていては一人前になれないぞ」と言うようになっていたと書いています。 そして、講演会などで「専門化が放射能の恐怖心をいちばん知っているはずなのに・・・・・(事故時の放射能放出などに無神経なのはなぜか)」とよく質問を受けたらしいのですが、そのことを次のように後述しています。 「仕事が安全に優先する心性は、すでにいちばんスタートの現場から出来上がっているのである。」 TVに出演している学者の発言もうなずけるような気もします。でもねぇ・・・・。 たとえば、次の事象はそのようなレベルの問題では明らかにないはずでしょう。 「福島第一原発のタービン建屋内の〈たまり水〉について、原子力安全・保安院は、深刻な放射線障害を引き起こす可能性がある〈プルトニウム〉が含まれているかどうかを調べていないことを明らかにしました。」 高木は、プルトニウム燃料(MOX)の軽水炉利用=プルサーマルの総合評価に関する国際研究を主宰し、『MOX燃料の軽水炉利用の社会的影響に関する包括的評価』を編んでいます。 その後、彼は「もうひとつのノーベル賞」ともいわれるライト・ライブリッド賞を「プルトニウムの危険性を世界の人々に知らしめ、また情報公開を政府に迫って一定の成果を上げるなど、市民の立場に立った科学者として功績があった」という受賞理由で、1997年に賞を受けています。 その彼が、「プルトニウムやプロトアクチニウムなどとなると、微量でも毒性が強く、ちょっとでも吸い込んだり手を汚したりしないように細心の注意が必要だが、これらアルファ放射体は、普通のガイガーカウンターではなかなか検知しにくい。実験が終わって管理区域外に出る前にモニターすると、これだけの防護をしていたのに、手の指などが汚染していることがあった。」といっています。 プルトニウムの毒性については、タンプリンとコクランという科学者の論文にはじまるようです。 彼らによると、「プルトニウムの不溶性微粒子(ホットパーティクル)が肺に不均一に分布して局部を強く照射することを考慮して評価すると、プルトニウムの毒性は、これまでの〈許容基準〉の11万5000分の一に厳しくしなくてはならない」、というものです。 シーボーグの本にも、「人間に知られている最も危険な毒物のひとつ」と書かれていることも指摘されています。 この説を高木は検証し、雑誌「科学」(1975年5月号)に『プルトニウム毒性の考察』として発表しています。 それによると、「不均一被曝は(ホットパーティクル)はより大きな危険性を与えるというタンプリンらの説は基本的に正したいが、毒性が増す度合いは粒子のサイズに依存するので、必ずしも一律に10万倍とは言えない。」というものだったらしい。 どちらにしても、私たち国民にとっては、とても危険なものだということには違いないわけです。 にもかかわらず、ガンなどの深刻な放射線障害を引き起こす可能性を、報道ではこの点をほとんど言っていません。 プルトニウム239という放射性物質は、3号機のプルサーマル発電の燃料棒に含まれているらしく、原子炉から漏れた「たまり水」からプルトニウムが検出された場合、原子炉内の燃料棒が激しく損傷していることを示すことになる、といわれています。 ところが、原子力安全・保安院は、これまで必要性が薄いとして調査していなかったというお粗末です。恐ろしい話しです。 この点については、高木の経験として次のような記述があります。 1973年の関西電力「美浜一号炉」の燃料棒折損事故に関してあった事例です。 「ほぼ最初から最後まで、この事件の顛末に付き合ったことで、私(高木)は多くを学んだ。その多くは驚きの連続で、思えば私が会社にいた頃は、隠蔽の体質はあったものの、商業原発など始まっておらず、呑気なものだった。関西電力・三菱重工が一体となったきわめて組織的な事故隠しと、それを知りながらシラを切り通そうとする通産省、そして時効という狡猾な逃げ道。それらは、私の想像をはるかに越えた、悪辣な国民無視と安全感覚の欠如を浮き彫りにした。ほとんどの場合、私は怒りの感情で動くことはなかったが、このときは心から憤りの気持ちをもった。」 あれから約30年後のいま、東電にはそのような体質はまったくないと信じたい。 この本には、高木を狡猾な手段で(当時の金で3億。いまなら100億円ほどの換算になる)、御用学者に取り込むための工作を仕掛けられたとか、ある組織によって様々な陰湿な嫌がらせの接待を受けたことなどが、具体的な事例を抑制のきいた言葉で記述しています。 この事実は、プルトニウム分離の継続とMOXの軽水炉利用の推進が、いかに国民にとって正当な科学的根拠のない非合理的な事業かを物語っています。 人類にとって「産業としての面、経済性、安全保障、安全性、廃棄物管理、そして社会的影響のすべてにわたって何の合理的な理由もなく、社会的な利点もない」(IMFプロジェクト最終報告『MOX総合評価』)のであるから、あえてそれを推進するということは、そこに何らかの不合理な利権構造が背後にあると推測されるわけです。 いまなおその構造は継続しているのだろうか。 「原発問題の中にすべてがある」 これは高木の言葉です。 彼は「唯原発主義」のようなものを好まないといいます。 つまり、「〈反原発〉は、単に原発反対とか放射能がいやだとか、あるいは〈核と人類は共存できない〉というレベルの信条を意味しているのでなく、人間の基本的な生き方そのものに関わっている」ということなのです。 彼は最後に、ガンに侵されながら、著書を次のように締めくくっています。 こうやって、アカデミズムの内側と外側にある大きな壁を打ち破っていくことで、市民の側の未来への意慾=希望が、もっと広く科学者や諸テクノクラートたちに影響を与えていくことができるかもしれない。いや、この点にこそ、私は、「あきらめから希望へ」の転化の大きな可能性を予見したい。 彼に続く市民科学者たちの手によって、福島第一原発事故の終結が「最善」の終わり方になることを願うばかりです。 国は、国民の側に立って責任ある決断をすべきです。
by culon
| 2011-03-25 19:54
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